恋とはどんなものかしら
※昨年の銀高ブログからコピペして再掲しています。一部GIGAの内容に触れています。

某水彩画家さんが描いた「恋をする」という、青い模様の器と赤い模様(だったような)の器に花が生けてある絵。花が寄り添ってるように見える絵が、銀高にしか見えなくてこれどうしようと...。背丈が違う花で、銀高そのものに見えてしまいました。うろ覚えたけど、普遍的無意識というのが人にはあって、それは人類に共通するもんだという話がありましたね。例え環境が全く違う中育っても、共通する認識があるというものです。これに全面的に賛成するわけではないけれど、面白い発想だよなぁと思います。そういうものに近い何かを銀高からは感じるんですよ、二つのものが寄り添っているとそれは仲が良いんだろうなって判断してしまうでしょ。仲がいいなっていうのを飛び越えて銀高に見えてしまってるんで、これは普遍的無意識と関係無い事に書いてる間に気がつ…
恋なんて銀高に一番似合わなそうな言葉だと思うんだけど、似合うような気もする。結局は私の気分次第ということなのかな。ただ好きになることを恋だというなら銀高は恋してるってことにはならないよね。一応私も腐人なわけで、BL好きだし色恋話したいけど、銀高ってそういう話だけでいいの? って感じになってしまう...。...いいけどね! それでいいんだよ、余計なこと考えるからややこしいことになるのよ...。恋以上の何か当てはまる言い方があれば教えてほしいわ、こんなん友情ですなんて無理があるんじゃないですか? 友情ってなんだっけ? 恋のこと?
銀時が高杉を大切にしてるような気はしてました。当然ですが、万事屋や、かぶき町の仲間だって大切にしているとは思います。でもそれとは違う大切というか..。最初は申し訳ないけどそこまで重いものとは思ってなかったよ、高杉に対する銀時の気持ち。ここ最近の展開見てきて重たいなぁと...。銀時は自分が重い荷にならないようにって生きてきた筈では...? 背負うのを恐れていたということは同じ位、自分が重い荷になるのを恐れているんじゃないかなと感じるんです。影響を与えるのはいいけれど、影響以上は与えてはいけないという。だから銀時は新八や神楽にでかくなったなって言うんですよ。彼らが自分の力で大人になったということを喜んでいるんです。
片や高杉との関係はというと…。なんというか複雑ですよね。一緒に育ったと言ってもいい関係ではあるし、兄弟であり、相弟子であり、戦友であり…。銀時にとっては高杉は一度失って懐に戻ってきたものだという事が今現在GIGAに掲載されている話までで分かります。失ったものと思っていたことはなんの不思議もないし、私もそう思ってたんでいいんですが、銀時は一体どの時点で高杉が自分の懐に戻ってきたと思ったんでしょうか。回想だけ見れば将軍暗殺篇の時にそう確信したっぽいけど、これは大変興味深い発言ですよね。ただ銀時が懐に入れていた心臓とかけて高杉が言った言葉に、そう返しただけだというのも分かるんですが…。銀時はいつもそうなんですよね、本人というよりは、敵に対してこいつは俺のモノ宣言するけれど、本人には自分がその人をどう思ってるかは言わないんですよね。ハッキリまでいわなくても、大事なもんだよって感じの発言してるわけで...。 結構ストレートに言ってる方だと思うけど、これ、わかんないかな? なんで高杉に伝わってないのかな? それとも私がとってる意味と違うのかな、銀時が言ってる意味。それとも高杉分かっててああいう戦法提案(高杉を囮にするとか)してるの? 君らの関係ってほんとなんなの?
別の所でも何度も言ってるけど、私は銀時と高杉のお互いに対する気持ちは同じではないと考えてるんですよ。例えば銀時は高杉を止めるには「息の根を止めるしかねぇ」と言ってるけど、高杉は「終わらせるには剣を折るしかない」と言ってる。この差はなんだろうということです。単なる表現の違いでしかないかもしれませんけど。
実は色恋は対等じゃない方が楽しいですよ。どっちがより好きかということではなく。